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中公新書「道路の日本史」を読んだ感想

はじめに

本の感想は初めて書くので、所々おかしな箇所があるかもしれない。

概要

www.chuko.co.jp以下、公式ページより。

邪馬台国の頃には獣道しかなかった日本列島も、奈良時代になると幅12mの真っ直ぐな道が全国に張りめぐらされ、駅馬の制度が設けられた。中世には道路インフラは衰退したが、徳川家康は軍事優先から利便性重視に転換して整備を進める。明治以降は奥羽山脈を貫くトンネルを掘った三島通庸、名神高速道路建設を指揮したドルシュなど個性溢れる人物の手によって道路建設が成し遂げられる。エピソード満載でつづる道路の通史。

第一章では主に世界の有名な道路、例えばアッピア街道やシルクロードについて紹介している。

第二章以降では、古代~現代までの日本の道路について紹介している。

本書のメインは、タイトルの通り第二章以降になる。

この本がおすすめな人

本書全体を通して地図や写真が豊富に掲載されており、とても分かりやすい。

そのため、「道路の歴史が好き」という人だけでなく、歴史関係なく「地図を見るのが好き」という人にもおすすめできる本といえる。

個人的に面白いと感じた箇所

古代道路と高速道路の位置関係

高速道路が建設されたのは昭和からであり、日本の歴史の中では比較的最近の分類に入る。

しかし、実際に選定されたルートは古代の日本人がすでに計画性と直達性を考慮して建設された古代道路と似通っていた。

これは、それは古代道路と高速道路が同じような目的(計画性・直達性)で建設が進められたためと考えられるという。

同じような目的で道路のルート選定をした結果、現代の日本人が考えたルートと古代の日本人が考えたルートが比較的近いということが興味深い。

東海道のルート変化

時代によって、東海道のルートに変化が出ていたという。

例えば、名古屋から京都まで関ヶ原を経由するルート(関ヶ原越え)と鈴鹿峠を経由するルート(鈴鹿越え)があるが、古代および近代は鈴鹿越え、中世は関ヶ原越えのルートに変わっていたらしい。

また、国道は鈴鹿越えをほぼ踏襲しているが、東海道新幹線および高速道路(名神)は関ヶ原越えをほぼ踏襲しているという。

東海道のルートはこれまで意識したことはなかったので、時代ごとに変化していたことは知らなかった。

道路の役割の変化

古代の道路政策は軍事的な意味合いがあったが、近世ではそれに変化があったという。

例えば、織田信長といえば有名な戦国武将であるが道路政策にも熱心であったようで、本書では信長が平和利用、つまり民衆のために道路の整備を命じていたという。

また、それに続いて豊臣秀吉や徳川家康も同様の道路政策を行っていたと紹介している。

このように、時代が経つごとに道路の役割が変わっていったというのが面白い。

おわりに

紹介した内容以外にも、道路に関する興味深い内容が紹介されている。

本書は新書で300ページにも満たないので、比較的さくさく読み進められた。

 

興味があればどうぞ。