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岩波新書「読み書きの日本史」を読んだ感想

岩波新書「読み書きの日本史」を読み終わったので、簡単に感想を書く。

本の概要

www.iwanami.co.jp

以下、公式ページより引用。

私たちが日々実践している文字による言語活動は、長い時をへて形づくられてきたものだ。古代における漢字の受容から、往来物による学びの時代へ。近世の文字文化の多様な展開から、近代学校の成立へ。──世界の事例にも目くばりしながら、識字の社会的意味を広くとらえ、今も揺らぎのなかにあるリテラシーの歩みを描く。

以下、各章ごとに私が読んでおもしろい・興味深いと思った箇所を書く。

第一章 日本における書き言葉の成立

この章では、主に長らく日本語の書き言葉の文体として使用されてきた「候文体」という文体の成り立ちについて説明している。以下、本文より引用。

近代以前の日本における文章の表記には、じつにさまざまな様式が存在した。中国語としての漢文をそのまま書き発音する文字通り外国語としての漢文から、訓点により日本語の語順に読み直す漢文訓読、一部に倒置を含みながら基本的に日本語の語順によって表記される変体漢文、このほか、万葉仮名のみによって記される万葉仮名文、仮名交じり文、仮名文など。これらのなかには、話し言葉のとおりに表記し得る様式もあった。万葉仮名文、仮名文などであり、宣命体などもこれに近い。しかしながら、これらは前近代日本においては、いずれも公私文書における表記法の主流とはならなかった。結局その主流となったのは、変体漢文の末裔たる「候文体」と呼ばれるものである。(P.21)

日本語の書き言葉は、今でこそ話し言葉に近い文体*1で書かれているが、元々はそうではなかった。候文体*2と呼ばれる漢文に似た文体が、長らく書き言葉の標準的な文体として使われてきた。話し言葉に近い文体が存在していたにも関わらず、結局漢文に近い文体が使われてきたことが興味深い。

なぜ口語体ではなく漢文に近い文体が書き言葉として使われてきたのかといえば、「漢文こそ正式の書記様式であるとする根強い伝統意識がある」とのことらしい。

第二章 読み書きのための学び

この章では、江戸時代頃までの読み書きの習得の歴史について説明している。個人的におもしろいと思ったのは、平安時代の貴族における書き言葉の習得状況についての内容。以下、本文より引用。

平安期には、貴族においてさえ、漢文を主体とした読み書き能力の低下現象がうかがわれるのである。なぜこのようなことが起きたのだろうか。その理由は律令制国家の解体にある。漢文主体の文書作成が必須であった律令制機構が解体すると、官職の世襲化が進行し、高度な文書作成能力は、有力な特定の家において継承されるものとなっていった。すべての貴族に必要な能力ではなくなったというわけである。(P.37)

平安時代の貴族といえばよく和歌を詠んでいるという勝手なイメージがあったので、読み書きはできて当然だろうと思っていた。しかし、実際には貴族でもあまり読み書きができない人もいたらしい。一見すると関係がなさそうな律令制機構の解体という出来事が、結果として貴族の読み書き能力の低下につながっていたということが興味深い。

また、「往来物」という手紙の文例集が読み書きの教材として使われたことについて、興味深い記述がある。以下、本文より引用。

つまり、異なる地域で、同じように手紙文を教材とする学習が行われていたということになるだろう。ここには、コミュニケーションの一形態としての手紙文が、学習の範例としてきわめて重要であり、文字学習の初歩となりやすかったということが示されている。(P.47)

「異なる地域」として、本書では中国や古代メソポタミアを取り上げている。「往来」とは往来する手紙のことで、日本以外の地域でも読み書きの教材として手紙文が使用されていたということが興味深い。

第三章 往来物の隆盛と終焉

この章では、数々の往来物が生まれ、その後衰退した歴史について説明している。おもしろいと思ったのは、女子用の往来物があったということ。以下、本文より引用。

なお⑩女子用は、女子向けの往来物であり、教訓型、消息型、社会型、知育型、合本型などのさまざまな内容のものが含まれている。これらは一括として女子用往来と称されているが、平仮名を主体として散らし書きを用いるなど、男子用とは異なった構成となっている。(P.62~63)

近世期においても、読み書きの世界は、男子と女子とで大きく異なっていたのである。(P.63)

今の国語の教科書には男子用も女子用もないが、往来物には性別ごとに異なる内容の書籍もあったというのが興味深い。往来物にはかなり細かい種類があるんだなと思った。

また、往来物とは本来は手紙文例集のことだが、これがいつしか読み書きの教材として採用されたことに関する考察も興味深い。以下、本文より引用。

木簡にせよ紙に書かれたものにせよ、移動することによって文書がその用をなすということは、つまるところ、文書がコミュニケーションや通信の機能を担っているということである。もちろん文字がもたらす機能は多岐にわたっているわけであるが、そのひとつの重要な側面として、文書による遠隔地とのコミュニケーションがあったことは、あらためていうまでもないことだろう。したがって、動くということは、文字と文書そのものの在り方において本質的な重要性を有していたといえるのかもしれない。
このように、文書の重要な側面として、「動く」という属性があることを考えるなら、読み書きの教材が「往来物」と呼ばれることは、それほど奇異ではないのかもしれない。人々の間を往来することによって機能するもの、それが文書であった。そのような文書の作成をするための教材ということであれば、それはじつに「往来物」と呼ばれるにふさわしかったのではないだろうか。(P.90~91)

「文書がコミュニケーションや通信の機能を担っている」とは、これまで思ったことがなかった。そのコミュニケーションの基本が手紙だったので、必然的にその教材として手紙文例集が使われてきたということらしい。現代では、手紙に代わってメールやチャット、SNSがコミュニケーションの手段になっている。ということは、例えるとメールの文例集で読み書きを勉強していた感じなんだろうか。

第四章 寺子屋と読み書き能力の広がり

この章では、寺子屋での読み書きの歴史について説明している。意外だと思ったのが、寺子屋に関する記述。以下、本文より引用。

寺子屋というぐらいだから、お寺で読み書きが教えられていたのだろう、という誤解が、おそらくかなりの程度広がっていると思われる。お寺が読み書きを教えた場合も確かにあったが、それは寺子屋の一部に過ぎない。百姓、町人、武士、専業の手習師匠など、多様な寺子屋が存在していたのである。このような誤解が生じないように、寺子屋ではなく手習塾と呼ぶべきであるとする主張もある。(P.102)

なんとなく寺子屋って「お寺の座敷に机を並べて勉強している」というイメージがあったが、それはごく一部だったということが意外だった。

また、識字率の在り方についての記述も興味深い。以下、本文より引用。

識字率という言葉から私たちが想起するのは、識字能力の「有」と「無」が截然と区別されるような二分法である。しかし識字とは、このような「1」か「0」かで区別し得るものではない。まったく文字を使用しない人々から、自己の名前ぐらいは書ける人、わずかな名詞についての知識のある人、平仮名であればある程度読める人、口語体で書かれた文章なら理解できる人、候文体の文章を読みかつ書ける人、漢文を不自由なく理解できる人、俳句や和歌、漢詩などが詠める人など、漢字能力はグラデーション状に展開していたと考えられる。またたとえ自分では文字を使わなくとも、音読する声を聞いたり、代筆や代書人を頼んだりすることもできる。村役人などが、重要な文書を村人に読み聞かせることも多かったはずである。文字は、個々人によってのみ使われるのではなく、コミュニティの中で集団として機能するものでもある。江戸時代における読み書きは、地域や性、職業や身分などによって、きわめて多様な在り方をしながら、社会全体として機能していたのである。(P.149)

私は、読み書きの能力は「ある」か「ない」かの二択しかないと思っていたが、実際には「自分の名前なら書ける人」や「平仮名なら読める人」など、様々な人が存在していたらしい。「漢字能力はグラデーション状に展開していた」というのは意外だった。

第五章 近代学校と読み書き

この章では、明治時代以降の読み書きの学習について説明している。学校教育によって識字率は向上していくが、それは容易ではなかったとのこと。以下、本文より引用。

学びのキャンペーンは、政府が法令を発布するだけにとどまらなかった。学校に入学しそこで学ぶことを勧める告論が、全国各地で作成され発表されたのである。(P.183)

こうして、これまで成長過程の基本となっていた正統的周辺参加の過程はブロックされ、学校教育というまったく新しい過程のなかで子どもたちは成長していくこととなる。しかしながら、すぐに想像がつくように、これは容易な事業ではなかった。無数の修学告諭が発せられたのは、それが容易ならざる事業であることが当局者にも認識されていたからなのだろう。(P.192)

また、様々な自治体によって識字率の調査が行われており、たくさんのグラフが掲載されている。それによると、自治体によって識字率にかなりの差があったらしい。例えば、商人の多い自治体ではそうでない自治体よりも識字率が高い傾向にあったということが興味深いと思った。

おわりに

やや硬い表現があるものの全体的に読みやすく、参考文献や図も豊富なので読んでいて楽しかった。

今でこそ読み書きは「できて当然」と言われるぐらい当たり前のことになっているが、それが当たり前になったのはごく最近のことで、当たり前になるまでにかなり苦労した歴史があったのだと知ることができた。普段なかなか意識することはないが、読み書きができることに感謝しないといけないなと思った。

*1:この文体は、言文一致体や口語体と呼ばれている。

*2:「そうろうぶんたい」と読む。本書では、「中世末期から近世期にかけての実用的文書において圧倒的に主用であったとされる文体」と解説している。